2009年5月8日金曜日

スティル・ライフ。

著者:池澤夏樹(1945年〜)北海道帯広市生まれ。
埼玉大学理工学部物理学科中退。1975年より3年間、ギリシャに在住。


(冒頭の文章より引用)

彼は手に持ったグラスの中をじっと見ていた。水の中の何かを見ていたのではなく、グラスの向こうを透かして見ていたのでもない。透明な水そのものを見ているようだった。

「何を見ている?」とぼくは聞いた。
「ひょっとしてチェレンコフ光が見えないかと思って。」
「何?」
「チェレンコフ光。宇宙から降ってくる微粒子がこの水の原子核とうまく衝突すると光が出る。」


この「彼」という人は、上の一説にもある通り、宇宙や星、山や地形といった自然の理を常に心のそばにおき、片や現実世界では「公金横領」という大犯罪に手を染めていた。

しかし決して金や欲に溺れることはなく自然の営みのごとくただ心静かに淡々と生き、住居を転々と変えて行く。彼は自然の一部だから名前も家も持たない。何者にも縛られないのだ。

自然の理との調和を図り、淡々と生きている「彼」の存在には、憧れを持つ人が多かろうと思う。きっとこの作者、池澤さん自身も。

「大事なのは、山脈や、人や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界の呼応と調和をはかることだ。たとえば、星を見るとかして。」


そんな池澤さんの着想の源をたどってみれば、やはり我々全員のまわりにある自然なんだろう。そして、その自然への畏怖の念が、池澤さんに「作家」としての視点を与えているのだと思う。

池澤さんの手にかかれば、自然は無味乾燥なものでも、表層的なエコロジーの対象などでもなく、本質と根源を体現する存在としてその輝きを放っている。そして、池澤さんが自然観察を通じて得た「俯瞰」の視点により、人間を含む全存在が、否定も肯定もされず、みずみずしく精緻な筆致で淡々と描き出されて行く。

この池澤さん同様に、科学的思考から身の回りの物の根源に迫る作家、梨木香歩さんの作品にも、こんなテーマが貫かれている。
「日常を深く生き抜く、ということはそもそもどこまで可能なのか」


最近の私は、いろんな作家の「着想の源」に興味があります。本を読むということはつまり、作者それぞれの視点と立ち位置を知るということなのかなとも思います。何をするにも「視点」と「感じ取る力」から始まるんですものね。

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